あえて言おう 公立小中学校への携帯持込みに反対であると

2021年1月25日

公立小中学校に携帯は必要か?

公立小中学校への携帯持ち込みを許可する方針らしい。
これは、大阪が初めに提言したようだが、悪手であろうと私は考える。
まずは報道内容から

柴山昌彦文部科学相は19日の会見で、携帯電話やスマートフォンについて「小中学校は持ち込みを原則禁止」「高校は校内での使用を禁止」という指針を見直す方針を明らかにした。大阪府が18日に公表した、災害時の対応などを考慮して持ち込みを認める案についての考えを聞かれ、答えた。文科省は教職員や保護者の意見を聴き、来年度中にも新たな指針をつくる。

文科省は2009年に指針を出していた。柴山氏は「大阪府の動向を注視しつつ、学校を取り巻く社会環境や児童生徒の状況の変化を踏まえて、見直しの検討を進めたい」と述べた。見直されたとしても、持ち込みを認めるかどうかは、各教育委員会や学校が判断することになる。

同省の08年調査によると、公立小中学校の9割以上が持ち込みを「原則禁止」としていた。高校で持ち込みを禁じていたのは約2割だったが、大半が校内や授業中の使用を禁止していた。一方、子どもによる携帯電話やスマホの保有率が上がり、災害時の対応などへの懸念も出ていたため、従来の指針が「時代に合わなくなっていた」(文科省幹部)との声があった。

大阪府では昨年6月の大阪北部地震で、保護者から「子どもと連絡が取れずに困った」といった声が出た。このため、府の新ガイドライン案では校内への持ち込みを認めたうえで、緊急時にだけ使用を認める内容となっている。(矢島大輔)




大前提 被災地では携帯は無力である

災害時の情報伝達手段として考えているようだが、これが間違っている。

まず、大前提を確認する。
東日本大震災クラスの大災害の被災地では、携帯電話は無力である。

完全停電状態であり、一般家庭および一般店舗の通信手段はすべて壊滅する。
携帯電話基地局の設備も破損する可能性があり、基地間の通信インフラも破損しない保証はない。

万が一、設備が生き残ったとしても、電気の供給は無い。かろうじて携帯電話のアンテナ基地局がバッテリーで稼働するということになる。その場合でも通信料過多により通じることはほとんどない。そうこうしている間に基地局のバッテリーは尽きる。実際バッテリーは24時間の設計と聞いている。

私の仙台の経験では、早期に電気が回復したものの基地局などの故障により、携帯電話は1週間以上使い物になりませんでした。早期に家の電源が回復したことにより、netは使用可能になりましたが、携帯電波はなかなか復旧しませんでした。(場所によっては電波が入る箇所もあった)

すなわち、本当に大規模な大災害の状況では、携帯電話は無力なのです。
失礼な表現になりますが、局地的な災害(停電などが市区のみなど極めて狭い場合)という限局した状況でのみ、携帯電話は意味があるということになるのです。

「携帯電話があっても災害時に連絡がとれない」ということを肝に銘じるべきである。ここから議論を進めるべきである。すなわち議論の道筋が間違っているのだ。



避難所の運営や子供の対応

災害時に子供はどうするか。
小学校などでは、災害時に子供を学校に保護することになっていることが多い。保護者が迎えにくるまで学校で待機ということになるのが基本。

しかし、迎えにいくべき保護者が医者や看護師だったらどうなるか。緊急的な災害時に、医師や看護師が「子供を迎えに行くので、急患を置いて帰ります」と言えるのか。
言えないだろう。職務を全うするだろう。

同じことは「保育士」にも言える。通勤している保護者が戻るまで保育し続ける。しかし、保育士にも子供がいるだろう。保護者が迎えに行けない子供は小学校で待機し続ける。
小学校の「教師」も状況は同じ。家族がいても、学校で生徒たちと待機し続けるのだ。当然、警察や消防なども同様だろうし、他の職種でも職務を優先せざるを得ない方は多い。

それでは保育士や教師はじめ、職務を離れられない親の子供たちは、誰が面倒を見てくれるのか?結論から言えば、その地域の保育士や教師である。お互いに連鎖的に自分の子供の安否を知らずに他人の子供の世話をする可能性がある。

このように、いつまでも子供たちと連絡が取れずに職務を果たさざるを得ない状況も発生する。これが大規模な災害の実情である。当然であるが、他の職種でも同じように、連鎖的に安否がわからない、子供や家族が一緒に居られない事例は発生する。

このための携帯電話だというのだろうが、前述したように本当の大災害の際には、携帯電話は完全に無力である。
携帯電話が情報伝達として有効なのは、ここまでひどくない状況のみである。
言い換えれば、携帯電話を必要としないレベルの災害の時のみ、携帯電話は有効なのである。

お叱りを恐れずに言えば、昨年(2018年6月)の大阪北部地震くらいの局地的かつ大きくない災害であれば、ある程度有効なのが携帯電話である。しかし、大阪北部地震程度であれば被害も局地的であり復旧も早く、携帯電話が無くともさほど問題が無かったであろうと思う。
これ以上の大規模な災害であれば、発災直後の携帯電話は通信手段としての機能は無きに等しい。

この規模の災害時の連絡用に必要である、というのであれば私は反対しない。ただしメリットとデメリットを勘案する必要があろう。
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小中学校に携帯電話を持ち込むデメリット

私は失効しているが教員免許を有していた。
しかし、一度も正式に教鞭をとったことはない。実際の教育現場を深くは知らない。その前提で書いていく。

学校に携帯電話を持ち込むことで、学校内の問題はどのようになるか。音の発生や、紛失など高価な携帯電話の管理上の問題はないか。

また学校によっては、自己管理が難しい児童・生徒も多い学校もあるだろう。教師の負担は増えるばかりではないだろうか。

これ以外にもデメリットや、運営上の懸念はあろうと思われる。しかし、これ以上は専門家に任せたい。

公立小中学校は自宅から比較的近隣にあることが多い。携帯電話を使わずとも動くこともできるだろうし、小学校では迎えに行くのが基本となる。(遠方の私立などの小中学校に通う場合はこの限りではない)
このことを踏まえると、小中学校に携帯電話を持ち込むデメリットのほうが大きいと私は考えている。

行政が本来すべきこと

これを踏まえれば、行政がすべきことは一つである。
大規模な災害を想定して、準備をすることである。本気で準備することである。

前述したとおり、医療・教育・避難所のインフラ整備と対応要員の設定。
特に遠方で、業務にあたるものが安心して働けるよう、相互をカバーする制度を整備すべきである。

具体的には、各小中学校の避難・保護体制の確立。地域住民との相互協力体制の確立である。
例えば、両親が医師で急患対応していても安心なように、地域で学校の保護体制を確立する。絶対に保護するという強い決意の元、地域の者と協力し守る。保護数や保護している者の一時的な公表などもすべきかもしれない。

仕事先で被災して、交通インフラも止まっており、なかなか自宅に戻れない。でも学校・地域で保護してくれる。親族が居なくても大丈夫。と思えるような体制を構築すべきなのだ。この取り組みが、ほとんどの全国で足りなすぎる。

発災直後から2日間程度は、絶対的な安全体制を構築する。この時期を乗りこえることができれば、電気が回復する地域も増え、情報インフラなども復活できる。

状況によるが、1,2日経過すれば、情報は流れるようになる。その間をいかにその地域で節度をもって体制を構築できるか。すべては発災直後にかかっている。

南海トラフが騒がれているが、東海・南海だけではない。全国どこでも発生するだろう災害として、いかに準備するか。すでに全国どこでも発生するのだ。

その意味では、国の地震への取り組みに問題があるともいえる。何しろ地震保険の料率が地域によって異なるようでは、地震への意識が低下していても不思議ではない。

誤解を恐れずに言えば、昨年の大阪北部地震は無防備すぎだった。住民・行政ともに、あまりに無防備であった。地震が少ないと信じ切っていたのだと思う。この思い込みをなくすことが肝要である。

そして安易な携帯電話の持ち込み許可などは、未だに本気で地震対策を考えていない証左であろう。携帯電話で連絡とれれば大丈夫。この甘い考えが住民にもある。東日本大震災クラスであれば携帯電話は使えないのだ。このことを再度認識すべきだ。

繰り返すが、携帯電話の小中学校への持ち込みでは解決しない。地域での安全な保護ができるように、考えるべきである。その視点が、現在のディスカッションに欠けている。



まとめ 携帯電話で解決する問題ではない

1.大規模災害では、携帯電話は通じない。
2.公立小中学校での携帯電話に関する余計なトラブルが発生するだろうと予測
3.そのため携帯電話の持ち込みに基本的に反対である。
4.携帯電話を持ち込みだけでは、大規模災害の混乱を防げない
5.耳障りのよい話ではなく、地域も含めた避難所・児童保護策の策定と徹底が重要(被災先での助け合いなども検討し明記すべきと考える)
6.大規模災害を前提に策定し、小規模災害なら簡単に対応できる、くらいにすべきである。小規模災害を前提に策定すべきではない。

私は以上のように考える。