東日本大震災を仙台で被災した経験から 被災地での教訓(その3)

被災の翌日

これまで2回にわたって(東日本大震災を仙台で被災した経験から 被災地での教訓)、仙台で被災した東日本大震災の初日の様子を書いてきました。
私の住む地域は、幸い津波の被害が無かったこともあり、内陸での被災体験として見ていただければ幸いに存じます。




熟睡することはかないませんでしたが、暖をとり何とか車中泊を終えて、朝の明るさを確認することができました。数人の方は住居が壊れて小学校の体育館に避難し、そこで一夜を明かしたようでした。体育館も当然ながら停電で困っていたようです。

明るくなってきた5時すぎから活動を開始。当時住んでいたマンションの部屋に戻りました。徐々に明るくなってきて部屋の惨状を目の当たりに。部屋中がごちゃごちゃです。
危険なのは食器棚。食器棚に地震用のストッパーが付いているのですが、あの地震では食器類が中でシェイクされて粉々。開けた瞬間、粉々の食器が流れ落ちてきます。これでも地面に落ちていないだけましです。片付けが断然楽になります。
ごみをどんどんまとめます。徐々に座れるように、夜寝るスペースを作れるように。

ある程度片付けたところで、食事。
冷蔵庫が倒れていましたから、中にある食べ物を物色。冷凍された豚肉があったので、悪くなる前にすべて焼いて食べることにします。
この時重要なのは、「カセットコンロ」生活インフラが崩壊している状況では、火を安全に扱える器具はとても重要です。
料理の基本は、食材にいかに熱を加えるか?であることを再確認しました。被災後のサバイバル状態で、食材に熱を加える手段があることは、多少でも美味しいご飯を食べることにつながり、結果的にストレスを軽減することにつながります。
そして「紙皿」「割りばし」この辺りは言わずもがなですね。ある程度の量は絶対的に確保してくべきです。

朝から焼き肉!などと楽しそうに振舞ってみましたが、震災2日目は余震連発。片付けや焼き肉している最中も、震度4および5程度の揺れは連発をしていました。
「その中でマンションに居て大丈夫か?」「また大きい地震がくるのではないか?」という思いがあるようで、家族は皆食欲がありませんでした。それどころか、いつでも避難できるようにコートを脱がずリラックスする様子すらありあせん。それでも、なんとかなだめて少しでも食べさせました。
また水も出ませんので、冷蔵庫にあった牛乳やジュース類で渇きをいやす程度でした。それでも昨晩はほとんど食べていない状態だったので、多少でも食べて飲んで休養できたかと思います。



情報一切なし

部屋もあらかた方付いたお昼すぎ、徐々に情報を求めて多くの方が彷徨い始めます。
何しろ、電気がないということは、ほとんどすべての情報を得る手段がない、ということと同義なのです。まず、テレビ・パソコンといったものが使えません。
携帯やノートパソコンの電池が多少残っていても、基地局やnetサービスが(たぶん)全滅しているため、情報を発信or収集することができないのです。陸の孤島とはこのことだろうな…。という感じです。
津波が来ていて大変なようだ。という情報はあったものの、それ以上の情報を入手する手段もなく…。
車のテレビでは小さすぎる&ガソリンが心配。という状況でした。

とにかく、電気が無い生活は、とにかく大変。というのが実感できた2日目でした。

2日目のまとめ 備えるべきもの

1.カセットコンロ(予備カセット)
2.水(多いに越したことはない。)
3.紙皿・紙コップ・割りばし
4.なんらかの食べ物。(※カップ麺は水を大量に使用するので、微妙です。暖かいものは美味しいですけどね)