女子カーリング銅メダルおめでとう 本橋麻里の献身

2021年3月5日

日本女子カーリングチーム 銅メダルおめでとう

女子カーリング、いや
LS北見チームおめでとう!
以前も書きました(頑張れ!女子カーリング オリンピックチームの笑顔の裏にあるもの)が、本橋麻里がゼロから作り上げたチームであるLS北見。
選手の皆さんの頑張りが、今回の結果につながったのは事実ですが、やはり本橋麻里キャプテンの存在なくしては、なしえなかった偉業でしょう。



本橋麻里選手の覚悟

予選最終戦でスイスに負けたものの、アメリカも敗退したため準決勝進出が決定した日本カーリングチーム。インタービュー中に吉田選手が自分のプレーの不甲斐なさに涙してしまいます。
その後、共に練習してきたスウェーデンチームが後ろを通ると、号泣。笑顔を見せつつも苦しい気持ちがあり、本当に自分のプレーの不甲斐なさを嘆いています。これはこれで、オジサンとしては涙がこぼれるシーンです。本題から少しずれますが、載せておきましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=HyldTzi6IIA&feature=youtu.be



とてもいいシーンでした。
追記 スウェーデン優勝おめでとう!
この2チームが表彰台にいるなんて、最高な気分です。

日本チームは、予選リーグの後半は非常に厳しい試合運びとなりました。
要は、選手のリズムが狂っていたようで、ミスショットも多く、実際に後半は負けが続いていました。吉田知那美選手だけではなく、日本のチームとして調子が沈んでいくような感じだったと思います。

この時、本橋麻里選手はキャプテンとして、一選手としてメンバーを変えて自ら試合に出ることも考慮したはずです。
しかし、結果的にそうはしなかった。
調子が悪いから、選手を変える。これは一つの方法です。サッカーや野球ではよくあることです。
しかし、そうはしなかった。選手の成長を考え、特に精神的な成長を考え、苦難を乗り越える経験をさせることを優先したのだと思います。
しびれるようなプレッシャーの中の試合。上がらない選手たちの調子。それを乗り越えさせる経験を積ませようと、決断したのでしょう。
もちろん、初めにきめた自ら「リザーブ」に回ったから、変更しない、という単純な判断もあったと思います。
悔しい想いを胸に秘めて、選手本橋麻里は、最後までリザーブとして選手のフォローに徹したのです。



本橋麻里選手の献身

そして惜しくも負けてしまいましたが、準決勝の記事を見てみましょう。

快進撃を見せたカーリング女子「LS北見」の主将、本橋麻里(31)は自ら結成したチームにもかかわらず、今大会では黒子に徹した。本橋にとっては3度目の五輪。結婚、出産を経て、選手をかいがいしく世話する“お母さん”の顔も見せていた。

 23日、韓国と激闘を繰り広げた準決勝。圧倒的に不利な展開で迎えた第5エンド終了後の休憩時間、通称「もぐもぐタイム」では、本橋が率先してイチゴの入った容器を開け、笑顔が消えた選手の前に差し出していた。藤沢五月(26)の背中をさするようなしぐさで、後輩たちを励ますと、後半からは息を吹き返したように韓国を追い詰めた。

本橋は19歳で初出場した2006年トリノ五輪で、「チーム青森」の最年少メンバーとしてプレー。「マリリン」の愛称で一躍カーリングの“顔”となった。

故郷の北海道北見市から五輪を目指すため、8年前にLS北見を結成。国内の試合では出場することもあるが、この五輪ではリザーブ(補欠)としてコーチ席から見守った。

結成から指導にあたる小野寺亮二コーチは「本橋がほかの4人より劣っているということはない。常にレギュラーを狙える本橋がいることで、チームによい緊張感といざというときの安心感がある」と強調する。

本橋は平成27年に長男を出産した。本橋が参加した「ママアスリートネットワーク」の勉強会で講師を務めた、前回ソチ五輪日本代表の三星マナミさん(34)は「『いつか息子が壁にぶつかったとき、お母さんは頑張ったといえる姿を残したい』という言葉が印象的だった」と振り返る。

ただ競技と子育ての両立は簡単ではなかった。夫も仕事を抱えており、海外遠征や急な練習が入った際には、周囲のサポートが必要だった。「競技をやめるきっかけが、結婚や出産といった人生の幸せなターニングポイントなのは残念なこと。地域に育ててもらえるのは大きい」と本橋。

五輪のスタンドでは2歳の息子も観戦した。チームの精神的支柱として活躍した母親の姿は、いつか息子の力になるだろう。(石井那納子)

力は、充分に備わっている本橋麻里選手。しかし、LS北見のチームとしてのまとまりという観点から、自らリザーブになる決断をしています。本当は出場したかったはずです。晴れの舞台であるオリンピック。控え選手としてのみではなく、試合に出たかったはず。
しかし選手が力を発揮できるよう最大限のサポートをする役目に徹する。下支えに回っているのです。だからこそ、このチームは強かったのです。
今後、日本のカーリングを語るとき、「本橋麻里」という名前を外すことはできないでしょう。



本橋麻里選手の想い

最後に銅メダル確定後の記事を引用して、終わりにしたいと思います。
控えに回った本橋麻里選手の想い。それをかなえた選手たち。実にいいチームでした。
ありがとう女子カーリングチーム。ありがとうLS北見。

常に笑顔を絶やさなかった「そだねー(そうだね)ジャパン」は、最後にうれし涙を流した。平昌五輪第16日の24日、カーリング女子「LS北見」は、3位決定戦で英国と一進一退の攻防を繰り広げ、史上初のメダル。スピードスケートの新種目、マススタートの女子では、高木菜那(25)が初代女王に輝いた。

激しい攻防の末に迎えた第10エンド。英国のラストショットではじかれた日本のストーンがサークルの中央に収まった。その瞬間、それまで笑顔を絶やさなかった氷上の4人は、互いの顔を見つめ合い、大粒の涙を流しながら次々に抱き合った。

「我慢の展開だと思っていた。(試合時間は)2時間半だったが、すごくあっという間に過ぎた2時間半だった」。吉田夕梨花(ゆりか)(24)がこう振り返る通り、苦しみ抜いてつかんだ銅メダルだった。

「思ったより相手が守備的にきていたので、(ジェームス・リンド・コーチから)惑わされないよう、チャンスがあれば積極的にと言われていた」と藤沢五月(さつき)(26)。鈴木夕湖(ゆうみ)(26)は「みんなのショットに助けられた」とほっとした様子を見せる。

夕梨花の姉、知那美(ちなみ)(26)は自分たちが成し遂げたことに驚きを隠せない。「(コーチから)『新しい歴史だよ』と言われて徐々に実感が湧いてきた」

故郷の北海道北見市で地元出身のメンバーを集めて一からチームをつくり、五輪中は控えとして後輩たちをまとめ上げた主将の本橋麻里(31)は、あふれる涙をぬぐい、その後は満面の笑みを浮かべた。

「スタッフ、コーチ、選手、応援してくれた応援団全員にありがとうと言いたい」。口から出てくるのは感謝の言葉だ。そして、万感の思いを込め、こう語った。

「今回のメダルで、日本カーリング界が大きく変わる。やりきった」

平昌の会場に駆けつけた関係者らも喜びを爆発させた。カーリング男子チームの主将、両角(もろずみ)友佑(33)も「本当にいい試合で、素直におめでとうと言いたい。このメダルはカーリング界にとって大きな一歩だ」と話した。

北見市にあるLS北見の拠点、アドヴィックス常呂カーリングホールでは、テレビ応援観戦会に参加した家族や住民らが、「やった!」「すごい!」と大歓声を上げ、「ニッポン」コールを響かせた。「ありがとう。夢を実現してくれた」。鈴木の母、倫子さん(58)は勝利の瞬間、両手を何度も突き上げ、娘の快挙を祝福した