追悼 松倉一郎先生を偲んで 最終章
一昨年(2016年)の思い出
最後に直近の思い出、一昨年に松倉先生と飲んだ日のことを書いて終わりにしたいと思います。
15年~20年ぶりにお会いした日の思い出です。
それまで話したことの無かった、個人的なことをお互いに話をできたように思います。その時のことを思い出しながら書いていきたいと思います。
発端は、年賀状のやり取りの後の2016年1月、松倉先生からの携帯メールでした。
その後PCメールアドレスを交換しお互いの予定を調整し、1月22日に日本橋で一杯やることに決まりました。
当日はお店で待ち合わせし、5分くらい前に到着すると、松倉先生から声をかけてくれました。
松倉先生「医者を待たせるとは、ずいぶん出世したな」
と会うなり一発かまされました。
「すみません。先生早いですね。それに元気そうで安心しました」病気療養されたとメールに書かれていたので、心配していたのですが、どうやら心配の必要はなかったようです。一安心。
しかし、以前より痩せられたかな?と印象を受けましたが、もともとやせ型でしたし、何よりお元気そうな勢いだったので気にせず、握手し再会を喜びました。
青年期&夢の話
予約したお店は、串揚げ屋さんでした。体調によっては、重いかな…とも思ったのですが、ばくばく食べていました。私のほうがゆっくり食べたいくらいのペース。
あれ病気は?というくらいの、食べる!飲む!話す!お元気そうでした。
痩せたようにお見受けしましたが、これからも頑張る!ととても前向きに話をされていたので、改めて安心しました。
…いやむしろ相変わらずの強さがあり、人生の先輩ではありますが、さすが、と思われる強さでした。
昔は聞いたことがなかった話題も、いくつか出てきました。その一つが少年期の話。
ご尊父様が、早くにお亡くなりになったそうで、受験の時は大変だったと。大変だったそうですが、塾にも行かずに独学で医科大学一発合格。名門高校出身とはいえ、やっぱりすごいですね。
また学費もかなり助成してもらったから、国への恩返しで医師は続けている。しかし、本当は違う職業になりたかったのだそうです。
松倉先生「君には言ったことなかったかな?言ってなくても付き合いが長いのだから、わかるだろ?」
いえいえ、お互いの夢を語るほどのお付き合いは、しておりませぬ。
松倉先生「僕はね、F15のパイロットになりたかったんだ。頑張ればなれたと思う」
(出展:航空自衛隊HP)
へぇー、そんな夢をお持ちでしたか!
確かに医師になるよりも難しいかもしれませんね。夢やぶれて医師に。すごいですね。もう単純に「すごい」としか思えませんでした。
最近の私生活などについて
かなり食べて飲んで、お腹は一杯。しかしせっかくなので、銀座方面に足を伸ばし適当なバーでモルトウイスキーを楽しみました。
お酒があまり強くない私と違って、松倉先生はシングルモルトをガンガン飲んでました。
ビールと違いシングルモルトといったハイオクを入れたおかげか、お互いに舌が滑らかになって適当な話までしました。
この時、たぶん松倉先生は55歳くらい。結婚されなかったのか?聞いてみると。
松倉先生「人の人生までを背負うことは、簡単に進めるものではない」
と持論を展開されていました。確かにおっしゃる通りです。
しかし、その直後に驚きの言葉が
松倉先生「彼女はいるけどね。まだ30歳ちょっとで、しかもかわいいんだ」
思わず、「おいおいおっさん(繰返しますが、当時55歳前後)、何やっとんじゃ」と関西弁で言いたくなるような話でした。
しかも、以前の赴任地からで結構長いお付き合いだとか。
この日唯一、松倉先生に対して私が優位に立った気分で言えたのは次のセリフ「先生ね、それは結婚すべきですよ。いや結婚しろ」
言ってはみたものの、前記したように人の人生を…と、反論されてしまいました。
何度か「案ずるより、産むが易し。というじゃないですか。長い付き合いならなおさら、結婚を」などと、世話焼き爺として話題を振っても見ました。
まぁ松倉先生からすれば、ご自身の健康の不安はあるしで、なかなか踏み切れないのでしょうけどね。
それでも、自慢するように彼女のことを話していたので、うまくいけばいいのになぁ、と勝手に思っていました。
また、松倉先生はF15 パイロットになりたかっただけあって、スピードが好きなんでしょうね。
松倉先生「もう少し齢をとったら、ポルシェを買う。箱根を走るんだ。君も買って走るかね?」
さすがにポルシェは、なかなか買えないかな~と思いながら「そういう老後もいいですね」と返したりと、どうでもいい酔っ払いのオッサン会話を楽しんだ夜でした。
最後に
ここまでダラダラと思い出を書いてきました。
今回は冬の乾杯だったので、次回はビールの美味しい季節に、と約束しました。しかし、お互い体調や予定が合わず、この日が最後の乾杯になってしまいました。
ここまで松倉先生に怒られるかもしれないぁ、と思いながらも書いてしまいました。個人的に追悼の意を込めての気持ちからですが、勝手な内容で大変申し訳ございません。
最後に、改めて怒られるかもしれませんが、松倉先生からのメールの一文を引用したいと思います。松倉先生の人となりの一端が垣間見えるかと思います。
自分が食事が取れないほど忙しくても、困っている患者さんや家族のために真摯に対応される。
松倉先生のような先生に、自分自身を看取ってもらいたいと私は思っています。
松倉先生のメール抜粋
「…僕は生き方が下手くそなのか相変わらず下働き人生です。…」
松倉先生お疲れ様でした。安らかにお休みください。
ディスカッション
コメント一覧
一郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
辛い時に多くの励ましをいただきました
一郎さんは生まれながらのサラブレッド、ご苦労も力として生き抜いた素晴らしい方だと思い続けています。
できましたら、ご命日をお知らせいただければ、幸いです。
コメントありがとうございます。
拙い文をお読みいただきありがとうございました。
先生のお人柄をご理解されていることが文章からわかりました。
残念ながら私も、ご命日は存じ上げません。
ご親族からのお葉書には、記載されていませんでした。ご期待に沿えず、申し訳ございません。
20年前に交誼があった者です。訃報は耳にしていたものの、生前の様子などは全く知る術もありませんでした。
(おそらく)一周忌に近いこのタイミングで、今回このように三度にわたって記事を書いて下さり、ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
故人のことゆえ、書いてよいものか悩みながらの記事でした。
不愉快な想いをされていないことに、とても安堵しております。
松倉先生と細切れながら通算10年弱、お亡くなりになる直前まで一緒に仕事をすることができた医師です。
気障な話しぶりでしたが本当にそれが板についていまして、嫌な感じが全くしませんでした。また、音楽(彼はベーシストありカシオペアの曲やマーカス・ミラーが好きでした)に関しても造詣が深く、以前いただいた年賀状に”no music, no life!”と書かれていたことを想い出します。何よりも患者さんのことを考え本当に丁寧な病状説明を心がけていらっしゃいました。患者さんの質問が止まらず、通常ならば30分前後で済ませるものをたいてい1時間、時に2時間に及ぶこともしばしばでした。どんな質問にしっかり答えようとする真摯な態度が患者さんに伝わってのことだと思いますが、説明が終わった後の満足げな患者さんの表情とげっそり疲れ切った松倉先生のコントラストが今なお浮かんできます。
確かに故人のプライバシーのことではありますが、親交があった皆様が年に1回、その日だけはご冥福をお祈りできるほうがよいと考えますのでご報告いたします。
お亡くなりになったのは昨年2017年2月5日です。
そして昨日2018年2月4日(日曜)に芝・増上寺で一周忌法要が執り行われ、参列する幸運を得ました。
遺影は恐らくは40前後のもので相変わらず格好良かったです。
コメントありがとうございます。
ご命日も記載いただき、重ねて御礼申し上げます。
先生のコメントを拝見し、改めて松倉先生のことを思い出しました。
私の拙い文章よりも、先生のコメントにこそ松倉先生の本当の姿が表れていると思います。
遅れてしまいましたが、改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
昨日松倉先生の7回忌に参加しました。約30年前にある病院で知り合いテニス、スキー、バンドと楽しく過ごしました。話題が豊富で仕事も熱心なためいつも中心的な存在で華のある人でした。バンドは新年会の出し物だったはずがその後先生が病気になるまで、30年近く続きました。長い新年会でした。先生のような人は多くの人の心に存在し続けることでしょう。僕も先生のおかげで人生が豊かになりました。先生ありがとう。
たまたまふとこのブログにたどり着きました。 昔ご縁があって仕事を、趣味の音楽を楽しみました。
おなくなりになっておられたなんて。生涯独身、でもいつもモテモテ、どこか影のある寂しそうな横顔 思い出します
もしかしたらこのメッセージも誰の目にも止まらないかもしれませんね。さみしがり屋で優しくてかっこいい松倉先生 ありがとう
コメントありがとうございます。
松倉先生の記事を書いて約1年半。連絡やコメントを戴くたびに、改めて松倉先生のことを思い出します。
またお読みいただきありがとうございました。
管理人
今日、こちらのブログにたどりつきました。確か3月7日がお誕生日でしたので、どうしてるかなと思って…。とてもショックです。私の存じている松倉さんなんだろうなあ、きっと。素敵なエピソードを教えてくださってどうもありがとうございます。もっと伺いたいぐらいです。高校生の時に初めてお会いして、素敵な方だなあと胸がドキッとしたことを思い出しました。涙が止まりません。
コメントありがとうございます。
拙い文章ですが、お読みいただきありがとうございました。
わずかな思い出ですが共有でき、うれしく思います。
以前、コメントをさせていただいた者です。昨日・2月5日は松倉先生の7回忌でした。コロナの影響もあり法要が執り行われることはありませんでしたが仕事や音楽でつながった仲間たち7人が芝・増上寺に集まりました。ご親族の方ともお会いすることができました。思い出話に花を咲かせる中で、仕事では患者さんのために全力を尽くし、一方で遊びになるとこれまた全力で手を抜くことなく楽しむ、車のハンドルで言えば「遊び」のいっさいない人生を送ったかのような松倉先生を思うに、あらためて、生きていてほしかった、という感情が込み上げてきました。松倉先生の‘人となり’をブログに残してくださったgolf48様には心よりお礼を申し上げます。このブログの存在についてはご親族にお伝えしましたので見ていただけるかもしれません。いや、ぜひ見ていただきたいなと思っております。
再度のコメントありがとうございます。月日の流れは速いものですね。もう七回忌だったのですね。
「車のハンドルで言えば「遊び」のいっさいない人生…」という表現に、そうそう!と思わず膝を打ちたくなりました。
多くの方からのコメントで改めて松倉先生という方を知ることができました。
そして多くの方が、松倉先生に同じような印象をお持ちであることを知りました。
私の文章ではなく、多くの方のコメントを見ていただきたいと願っています。
松倉さんとは30年以上前に音楽を通して親交がありました。2017年にお亡くなりになったということを偶然このブログで知り、非常にショックを受けました。
松倉さんは何事にも手抜きをせず取り組む方でした。お忙しい仕事の合間にも、ご自分の好きなことに全力で取り組んでいらっしゃいました。そうやって全速力で人生を走りぬいてしまったのでしょうか。とても寂しいです。せめてお墓参りができたらと思います。
松倉さんの思い出を綴ってくださったgofl48様には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
皆さんのコメントを読むと、元気な松倉先生の姿が目に浮かびます。
拙い私の文章以上に、皆さんからのコメントをぜひお読み頂ければと思います。