違う病院で

前回、松倉先生との思い出を書きました。故人を偲ぶ方法として正しいのか、わかりません。そのため続きを書くことをためらっていました。
しかし、お世話になった者として、一昨年旧交を温めた者として、多少の思い出ともに、このような医師が居られたことを書き記したいと思い、書くことにします。

2年ほどで、東京の下町の病院の担当を私が離れました。時を同じくして松倉先生も病院を異動されたように記憶しています。
たまたま私が松倉先生の母校の担当になり、松倉先生も母校に戻られたことで、数年ぶりに再会しました。大学でも松倉先生はいつも忙しそうでした。多忙のため、本当は製薬会社の営業などと話をしたくなかったのだろうと思いますが、以前の病院からの付き合いもあり、多少は言葉を交わしていたように思います。



とあるエピソード

一昨年の酒席で、松倉先生が語った、このころのエピソードが一つあります。
松倉先生としては、とある患者さんをよりよく治療したい。その思いから、私が当時勤務していた製薬会社の薬を少し異なる使用法をすることを思いつきます。
そのことを私に相談をしてくれたのですが、私の回答は「その使用方法はお勧めできません」でした。製薬会社の営業は、定められた使用法を、正確に伝達するのが仕事とされてます。定められた使用法以外は、お話できない以上、このように回答するしかできませんでした。
しかし、疾病はいつも同じではありません。定められた使用方法は、平均的なその病気に対して平均的な効果を示すものです。重篤な患者さんには効果が充分でないことは、ありえます。そのため医師は、常に患者さんおために最善の治療法を模索しています。

松倉先生「君に、この薬の使用方法の変更を打診したら『わかりません。お勧めしません』ばっかりで、全くもって困ったよ。理論的にも僕の使用法のほうが効果が高いはずだ。自分なりに調べて、その方法使ったよ。
効果はどうだったと思う?効いたよ。劇的に効いた。こうやって治療するんだよ。会社も少し考えて回答しなきゃだめなんだよ」
医師とは、このように考えているのだということを、目の前で見せていただきました。

このエピソードは、私自身当時も伺ったのを覚えています。
かつて製薬会社の営業方針が、過度であったことが社会的に問題とされていました。必要のない薬を製薬会社が無理やり使用させているのは?という懸念から、適正な情報伝達のみを行うよう、強く指示されている時代でした。
そのため、使用方法が異なる質問に対して、基本的に何も言うことが出来ませんでした。これは会社側の言い訳ですね。

個人的にも、これでよいのか?という疑問は常々持っていました。医療関係の仕事と言いつつ、治療法に迷った場合には、なんのアドバイスも出せないようでは、意味がありません。
私はこの一件以降、心を入れ替えました。同様な申し出があった場合には、誠実に対応する。具体的には会社が収集している情報をできるだけ正確に伝達する。正確に良い点、悪い点、期待できる点、懸念される点、データから推察できる点などを整理してお伝えすることにしたのです。
この姿勢は、松倉先生とのやり取りの中で決意し、私のその後の営業の方法(ひろく考えれば生き方)とした事例です。まだ会社に入って4年目くらい、おそらく26歳ころだったと思います。
松倉先生、本当にありがとうございました。



担当を離れて

このころ他に何かあったか?実は覚えていません。たぶん、他にはあまり何もなかったように思います。

そのうちに、私が担当を外れた、もしくは先生が異動されたように思います。
一昨年の席が持てるきっかけとなった、年賀状のやり取りはこのころ始まったのだと思います。しかしなぜ年賀状をやり取りするようになったかも、よく覚えていません。
松倉先生も、病院では素っ気ないのですが、年賀状はほぼ毎年書いて下さっていたと思います。
私自身が、こののち転勤で、大阪、仙台と引越ししていますし、松倉先生ご自身も、東京、神奈川、千葉と引越しをされていたと思います。引越しのタイミングで住所変更を失敗し、年賀状が疎遠になってしまった友も多いの中、お互いにギリギリ上手く登録していたみたいですね。その意味では非常に義理堅い先生でもありました。
私のほうからすれば、考え方や生き方を示唆していただいた大恩ある先生ですが、松倉先生からすればどうだったのでしょうかね。面倒くさい奴だったなぁ、と思われているかもしれませんね。

もう少し、次回に続けます。