中学生からの大学講義1何のために「学ぶ」のか

大きい命題であるこの本。
高校生の息子の夏休みの課題図書であったため、どのような本を高校が推挙するのか興味があり、読んでみました。

一言でいえば、うーん。なんともコメントしにくいな…というのが正直な感想です。
内容を大きく公表しない程度に感想を書いてみたいと思います。



まず「学ぶ」とは何か

本の前書きを要約すると
「大学で何を学べるのか」について良質なアドバイスが無いことから、大学の教鞭をとられている先生方に大学のクオリティーを保ったまま「学問」について紹介した本
と称されています。

つまり、大学で行う「学問」というもの、「学ぶ」とは何かということにスポットをあて、将来大学に通うであろう中学生にわかりやすく説明する本です。

内容としては、複数の先生がそれぞれのテーマから話をされています。第一のテーマは「学ぶ」とは何か?ということ。

学ぶとは?先生方によって、回答の仕方が異なりますが、覚えること、教わることがすべてではない、ということに要約できると思います。
もしくは、受け身としての勉強ではなく、自発的に学んでいくこと、という言い変えてもよいかもしれません。

一言でいえば、詰め込みだけではダメである。という感じでしょうか。



100点満点は人間の目指すべきことではない

上記は、外山先生の一小節の題名です。記憶し試験で回答する、という行動は、パソコンで充分対応できる。

確かに、記憶(パソコンでは記録)し、回答(パソコンでいう出力)するという行動はパソコンのルーチンワークでしょう。文章から引用すれば「機械は100点は取れるが、75点の回答を書くことはできない」。

その通りだと思います。
記録はパソコンに任せて、人は考えることを中心にしたほうがよい。考えるというか発想する、もしくは創造すると言い換えたほうがよいかもしれません。

また外山先生は「知識量と思考力はたいてい反比例する」と書かれています。
確かに!と同意する点も無くはないですが、ある程度の知識が無いと思考が意味のないこともあり…ちょっと微妙な表現かな?と思います。

ある程度の知識を持ったうえで、また専門外の考え方もある程度理解した上でないと、思考もうまくいかないのでは?と考える次第です。
おそらく受験勉強ばかりの「知識馬鹿になるな!」「専門馬鹿になるな!」という意味での戒めかと思いますが、誤解が無いよう願っております。

若干、反論めいた感想を記載しましたが、興味深かったのがこの外山先生の章だったので、書かせていただきました。
勝手な感想で申し訳ないところです。



時間は一つだと思っていないか?

もう一つ、楽しく拝見したのが、本川達雄先生。
生物学(ナマコ)の権威だそうです。感想などと書くとおこがましいですが、少し書いてみたいと思います。

この表題も本川先生の章の一節の表題です。
生物学をご専門にしていながら、この章は時間という点を物理学的側面、宗教学的側面から論じています。ある意味哲学的でもあります。
これが実に面白いです。
これぞ専門馬鹿でない、発想の仕方であろうと思います。

科学という文化が西洋を中心に発展してきた以上、西洋の主要宗教であるキリスト教的史観を抜きに科学を語れないこと。
それと東洋などの考えである輪廻。
これらを伊勢神宮の式年遷宮を例に紹介しています。

このような他の知識をも活用し、考え方を学ぶ、活用することが、本当の学問の意味なんだろうと思います。

勝手な感想として、外山先生と本川先生の章を引用させていただきました。
時間がない方は、このお二人の章を読むだけでも、この本の代金を払う意味があると思います。

なんのために「学ぶ」のか?
現実を理解し、嘘を見抜き、その上で新しい世界を創るため。だと勝手に考えています。
その自分の考えに近い先生の章を選んでしまったかもしれません。
以上、勝手な感想を記載して終わります。


中学生からの大学講義1何のために「学ぶ」のか
外山滋比古 「知ること、考えること」
本川達雄  「生物学を学ぶ意味」