徒歩で帰路に

会社で、見知った顔を見た私たちは、その後帰宅することにしました。
建物に入って安全である保障もなく、業務ができるような状態ではありませんでした。
上長に、無事を確認したら早く、帰宅を促すべきであるとと提案しました。非常事態すぎて、誰もが茫然自失に近い状態でした。進言もあり、上長らが話し合い、問題がなさそうであれば帰宅することになりました。

この時15:30ころ。
しかし、電車・バスなど公共交通機関はすべて動いていません。歩くのみです。しかも、電気がないということは、街灯もつきません。真っ暗になる前に移動を終了しなければならないのです。
住んでいた泉区(北のほう)まで、約15km弱くらい。約3~4時間と想像しました。
同じ方向の社員に声をかけ、計7人前後で歩んでいくことになりました。
道中、少しづつ入っている情報が入ります。
「震源地は岩手県沖らしい」
「津波が来ているらしい」
情報のほとんどはラジオでした。テレビは電源がなく、携帯は電波がなく…という状態。とにかく歩くしか術はありませんでした。



現地の方のやさしさ

家路を急ぐ数時間、途中で雪も降ってきました。3月だというのに、寒いな…というのが実感。雪がふるくらいですから3℃以下だったのでしょう。寒いわけです。
このころ、海岸沿いでは大変な状態になっていたのですが、当時は何もわからず。家族との携帯メールもほとんど通じない状況でした。
家路を歩いているうちに、個人でやっている小さなお店が開けてくれてました。
「細かい金額言わずに、ざっくりで。お釣りもいらないで、買うぞ!」と大きな言って皆に衆知して、買わせていただきました。自動販売機も使えず、飲み物も、食べ物も無い。その環境で15km弱の道のりは厳しいものでした。ちょっとしたお菓子とドリンクを500円分くらいを購入(もちろん1000円でお釣りいらない、としました)。
電気がなく、暗い店内で懐中電灯でお店を開けてくれて感謝です。

もう少し、歩くとレンタカー屋さんに到着。
「トイレ使用可」と手書きで書いてくれて、歩きで返る皆にトイレを開放してくれていたのです。「小は流さないでね」と店主は明るく使用させてくれました。
ふと見ると、赤ちゃんをつれた若いお母さんが座ってました。
「駅のほう、どうでした?」
と聞いてきたので、電車・バスはダメ。歩く以外に手段は無いことを伝えました。
「家が秋田なんです。これでは帰れないな…」と呟いていました。
かわいそうにと思ったものの、何もできることはありません。先ほど購入したお菓子をお母さんに渡して、立ち去ることにしました。
同時に、トイレを貸してくれた店主にも、お礼の意味をこめてお菓子を一つ渡しました。
この店主はすごい方で、私が渡したお菓子をそのまま「はい、もう一個ね」とお母さんに渡してしまいました。お母さんが少し笑顔になったことを覚えています。

また時期的に新入社員なのか、就職活動なのかわかりませんが、リクルートスーツを着た女性が慣れない靴で踵から血を流しながら、家路を急いでいる姿なども拝見しました。
東北という土地柄、野宿ができるほどの気温ではなく、休養できる場所もなく、家に帰るしかない…。という状況でした。

ほとんど休むことなく約3時間半かけて家の近くまで到着したときには、すでに真っ暗。
とにかく街灯もついてない。家々も停電で当然暗い。という状況では、本当に完全に真っ暗でした。雪がふったりしてましたが、上空の風が強かったためか、月あかりで周りが見えるタイミングもあり、助かりました。

家族と合流し、部屋に戻って毛布をもってその晩は車で明かすことにしました。



雪が降るも星がきれい

とにかく、電気がない。
暗く荷物が散乱した室内。携帯のライト機能を駆使してなんとか毛布などをもって車に向かいます。狭い車内でなんとか眠れる体制をつくり仮眠に入ります。
時折寒くて、エンジンをつけ暖を取りがてら車のテレビで情報収集。
「宮城県の海岸で数百人の遺体が打ち上げられているとの情報が…」
「岩手県大槌町 全滅…」(大槌だったと思いますが、記憶違いでしたらお詫びします)
仕事で行ったことのある町が壊されていく…悲しい状況でした。
絶望的な情報がテレビから流れてきます。

これからどうなるのか…と不安を感じながら仮眠を取りました。
空は真っ暗です。
雪が降ったりしながらも、星がきれいに見えたことを覚えています。

以上が3月11日の記録です。この時点で被災地で考慮しなければならない点は、
1.交通および生活インフラ壊滅(特に電気がないのは、生活維持ができないくらいのダメージ)
2.そのため帰宅は歩き。待っても当分回復しません。
3.お店は開いてません。
というところでしょうか。
とにかく電気が無いのが厳しいです。インフラの大部分は電気に頼っています。
停電対策を充分に備えてほしいものです。

震災初日は、ほとんどサバイバルですし、非日常に放り込まれるので、気合で過ごしていけます。
厳しいのはこのあとです。
その辺りの記録はまた改めて記載したいと思います。