追悼 松倉一郎先生を偲んで 最終章

2022年3月10日

一昨年(2016年)の思い出

最後に直近の思い出、一昨年に松倉先生と飲んだ日のことを書いて終わりにしたいと思います。
15年~20年ぶりにお会いした日の思い出です。
それまで話したことの無かった、個人的なことをお互いに話をできたように思います。その時のことを思い出しながら書いていきたいと思います。

発端は、年賀状のやり取りの後の2016年1月、松倉先生からの携帯メールでした。
その後PCメールアドレスを交換しお互いの予定を調整し、1月22日に日本橋で一杯やることに決まりました。
当日はお店で待ち合わせし、5分くらい前に到着すると、松倉先生から声をかけてくれました。

松倉先生「医者を待たせるとは、ずいぶん出世したな」
と会うなり一発かまされました。
「すみません。先生早いですね。それに元気そうで安心しました」病気療養されたとメールに書かれていたので、心配していたのですが、どうやら心配の必要はなかったようです。一安心。
しかし、以前より痩せられたかな?と印象を受けましたが、もともとやせ型でしたし、何よりお元気そうな勢いだったので気にせず、握手し再会を喜びました。

青年期&夢の話

予約したお店は、串揚げ屋さんでした。体調によっては、重いかな…とも思ったのですが、ばくばく食べていました。私のほうがゆっくり食べたいくらいのペース。
あれ病気は?というくらいの、食べる!飲む!話す!お元気そうでした。
痩せたようにお見受けしましたが、これからも頑張る!ととても前向きに話をされていたので、改めて安心しました。
…いやむしろ相変わらずの強さがあり、人生の先輩ではありますが、さすが、と思われる強さでした。

昔は聞いたことがなかった話題も、いくつか出てきました。その一つが少年期の話。
ご尊父様が、早くにお亡くなりになったそうで、受験の時は大変だったと。大変だったそうですが、塾にも行かずに独学で医科大学一発合格。名門高校出身とはいえ、やっぱりすごいですね。
また学費もかなり助成してもらったから、国への恩返しで医師は続けている。しかし、本当は違う職業になりたかったのだそうです。
松倉先生「君には言ったことなかったかな?言ってなくても付き合いが長いのだから、わかるだろ?」
いえいえ、お互いの夢を語るほどのお付き合いは、しておりませぬ。

松倉先生「僕はね、F15のパイロットになりたかったんだ。頑張ればなれたと思う

(出展:航空自衛隊HP)

へぇー、そんな夢をお持ちでしたか!
確かに医師になるよりも難しいかもしれませんね。夢やぶれて医師に。すごいですね。もう単純に「すごい」としか思えませんでした。

最近の私生活などについて


かなり食べて飲んで、お腹は一杯。しかしせっかくなので、銀座方面に足を伸ばし適当なバーでモルトウイスキーを楽しみました。
お酒があまり強くない私と違って、松倉先生はシングルモルトをガンガン飲んでました。
ビールと違いシングルモルトといったハイオクを入れたおかげか、お互いに舌が滑らかになって適当な話までしました。

この時、たぶん松倉先生は55歳くらい。結婚されなかったのか?聞いてみると。
松倉先生「人の人生までを背負うことは、簡単に進めるものではない」
と持論を展開されていました。確かにおっしゃる通りです。

しかし、その直後に驚きの言葉が
松倉先生「彼女はいるけどね。まだ30歳ちょっとで、しかもかわいいんだ
思わず、「おいおいおっさん(繰返しますが、当時55歳前後)、何やっとんじゃ」と関西弁で言いたくなるような話でした。
しかも、以前の赴任地からで結構長いお付き合いだとか。
この日唯一、松倉先生に対して私が優位に立った気分で言えたのは次のセリフ「先生ね、それは結婚すべきですよ。いや結婚しろ」
言ってはみたものの、前記したように人の人生を…と、反論されてしまいました。
何度か「案ずるより、産むが易し。というじゃないですか。長い付き合いならなおさら、結婚を」などと、世話焼き爺として話題を振っても見ました。
まぁ松倉先生からすれば、ご自身の健康の不安はあるしで、なかなか踏み切れないのでしょうけどね。
それでも、自慢するように彼女のことを話していたので、うまくいけばいいのになぁ、と勝手に思っていました。

また、松倉先生はF15 パイロットになりたかっただけあって、スピードが好きなんでしょうね。
松倉先生「もう少し齢をとったら、ポルシェを買う。箱根を走るんだ。君も買って走るかね?」
さすがにポルシェは、なかなか買えないかな~と思いながら「そういう老後もいいですね」と返したりと、どうでもいい酔っ払いのオッサン会話を楽しんだ夜でした。

最後に

ここまでダラダラと思い出を書いてきました。
今回は冬の乾杯だったので、次回はビールの美味しい季節に、と約束しました。しかし、お互い体調や予定が合わず、この日が最後の乾杯になってしまいました。

ここまで松倉先生に怒られるかもしれないぁ、と思いながらも書いてしまいました。個人的に追悼の意を込めての気持ちからですが、勝手な内容で大変申し訳ございません。

最後に、改めて怒られるかもしれませんが、松倉先生からのメールの一文を引用したいと思います。松倉先生の人となりの一端が垣間見えるかと思います。

自分が食事が取れないほど忙しくても、困っている患者さんや家族のために真摯に対応される。
松倉先生のような先生に、自分自身を看取ってもらいたいと私は思っています。

松倉先生のメール抜粋
「…僕は生き方が下手くそなのか相変わらず下働き人生です。…」

松倉先生お疲れ様でした。安らかにお休みください。