川崎フロンターレが、J1初優勝!


チームとしてタイトル自体初受賞ということで、まことにおめでとうございます!
その瞬間の栄光を動画で見ておきましょう。

試合後の選手たちの喜んでいる姿に、もらい泣きしそうなくらいの表現です。
鹿島有利の状況の中で、よくぞ緊張感をもって試合をこなしました。相手がJ2落ち決定の大宮とは言え、気迫がうまわまった試合だったと思います。

 明治安田生命J1リーグは2日、最終節の9試合が行われ、川崎Fはホーム等々力で大宮に5―0で快勝。磐田と0―0で引き分けた鹿島と勝ち点72で並んで得失点差では17上回り、奇跡の逆転優勝を果たした。1996年11月21日のクラブ創設から21年目で、悲願のJ1初タイトル獲得。J1の3大タイトル(Jリーグ、ルヴァン杯、天皇杯)で過去8度2位に泣いてきた“シルバーコレクター”が、ついにその名を返上した。
首位鹿島と勝ち点2差で最終節を迎えた川崎Fは開始直後の前半1分、FW小林のドリブル突破からMF阿部が左足でミドルシュートを決めて先制。前半ロスタイムにはMF家長のクロスに飛び込んだ小林がヘディングシュートを決めて2―0とリードを広げた。
後半に入っても川崎Fの勢いは止まらず、同15分には再び家長のクロスに小林が右足で合わせて3点目。同36分には車屋が倒されて得たPKを小林がきっちり決めてハットトリックを達成し、ダメ押しの4点目を決めた。J2降格が決まっている大宮を相手にその後も主導権を渡さず、終了間際には長谷川が左足で5点目を決めて5―0で完勝。前節首位の鹿島が敵地で磐田とスコアレスドローに終わったため、川崎Fが待ちに待ったJ1優勝のタイトルを手にした。
今季はアジア・チャンピオンズリーグ、天皇杯は準々決勝で、ルヴァン杯は決勝で敗れてタイトルを逃してきた川崎F。リーグ戦では第33節まで1度も首位に立つことはなかったが、8月5日の第20節・FC東京戦から15戦負けなしで大逆転優勝を達成。今季就任した鬼木達監督(43)は監督1年目でクラブに大きな初タイトルをもたらした。



川崎はチャレンジャーのチーム

川崎は、とてもチャレンジングなチームで、様々な大会を虎視眈々とタイトル奪取をもくろんできました。その結果残念ながらタイトルには届いていませんでしたが、その挑戦は素晴らしいというべきでしょう。
特にACLでは、鹿島よりも上位に残っていることが多く、本当に頑張っているチームでした。このようなチームがタイトルを得ることはとても重要です。
ライバルチームではありますが、ぜひ頑張ってほしいですね。

閑話休題 中村憲剛

いい涙でした。男泣き。こういうチームにタイトルが…うれしいですね。こんなエピソードもあったようです。最後に中村という男のエピソードを転載して終わりにしたいと思います。今日くらいは川崎関連の話で涙しましょう。おめでとう川崎フロンターレ。

◆明治安田生命J1リーグ 最終節 川崎5―0大宮(2日・等々力陸上競技場)
川崎が大宮を5―0で下した。磐田と0―0で引き分けた鹿島と勝ち点72で並び、得失点差で上回り初優勝を飾った。リーグ準優勝3回、ナビスコ杯(現ルヴァン杯)準優勝4回、天皇杯準優勝1回と創設21年でタイトル獲得は1度もなく、「シルバーコレクター」と呼ばれたがついに悲願をかなえた。川崎一筋15年のMF中村憲剛(37)を中大サッカー部のマネジャー時代から支え続けてきた同い年の加奈子夫人は、子供3人と会場で観戦。スポーツ報知に独占メッセージを寄せた。(取材・構成 田中 雄己)

初対面は、大学4年生の春。学内広告で、中大サッカー部が創部以来初めてマネジャーを募集しているのを見つけた私は、友人と一緒に入部を決めた。入部あいさつの時、監督に「マネジャーです。4年生」と紹介された時の「なんで? 年甲斐もなく」という憲剛の表情は今でもよく覚えてる(笑い)。

遠征には大学のジャージーを着用するのが決まり。マネジャーはそれぞれ選手に借りていたけど、私が唯一連絡先を知っていたのが、主将の憲剛。ぶかぶかの紺色のジャージーをよく借りてたね。そこから部活前のテーピングの練習に付き添ってもらうようになったりして、いつの間にか付き合うことになりました。

1年後、憲剛はプロになったけど、これまで本当に色んな事があった。2年目は昇格を見届けたくて、留学先の豪州と日本を何度も往復したり、(10年)南アW杯メンバーに選ばれた時は一緒に手をたたいて喜んだ。一番涙したのは13年に(伊藤)宏樹さんが引退した時かな。あの時は2人して夜中の2時頃まで号泣したね。翌日2人とも目が腫れるくらい(笑い)。2歳年上でプライベートも仲良しの宏樹さんがいた時は次男っぽく振る舞えたけど、宏樹さんがいなくなって、憲剛に何か言える人はいなくなっちゃった。そこからは言いづらいことでも言うようにしてきた。

(14年5月)ブラジルW杯メンバーから落選した直後のACL・FCソウル戦の時、2―1で勝ったけど、憲剛のプレーは精彩を欠いてるように見えた。いつもならかかってくるまでかけない電話をロッカールームに戻る位のタイミングで電話した。「みんなにかわいそうって同情されてるからって、この程度のプレーでいいというのは絶対にないよ。ここが一番頑張らなきゃいけない時じゃないの?」今思えばよく言えたなと。傷口に塩を塗るタイプだね(笑い)。

会った時から良くも悪くも変わらない憲剛だけど、一昨年変わらざるを得ない出来事がありました。(15年10月)私が妊娠14週に破水して、緊急入院。10日間の病院生活の間、憲剛は毎日子供と病室に来てくれた。だけど、病室で横浜M戦を見て思った。ボロボロだった。会いに来てくれる気持ちは嬉しい反面、子供二人を連れて練習後に病院に毎日来る負担は想像以上に大きい。これは無理だと。理解してもらうのは難しいかもしれないけど担当医に相談したら無理ですと言われた。「お願いです。帰らせてください。私にとってお腹の赤ちゃんと同じように、上の子2人、そして旦那が大事なんです」。そう伝えて誓約書にサインして半ば強引に退院した。セカンドオピニオンでも絶対安静を言い渡されて、自宅で約5か月間。動けない私に「家にいてくれるだけでいい」と言ってもらえて嬉しかった。「天井を見るだけ」の生活が続いた時に支えだったのは、憲剛の手料理。慣れないながら手順通り頑張ってくれたね。最後はお弁当も作れるようになって、難しくてできないと言ってただし巻き卵も、長女に『くるくるの作って』とせがまれて最終的には綺麗に作れるようになっていたね。

その後みんなの頑張りもあって(16年3月に)リイナが産まれた。その年に、憲剛は最年長リーグMVPを獲得した。今考えると、家事もして、そんな中でちゃんとサッカーもやりきった憲剛を尊敬しています。MVP受賞の瞬間の息子の表情は忘れられません。子供達のヒーローでいてくれてありがとう。

15年前。サッカーがまるで分からない状態で、マネジャーになった私でも、憲剛がうまいのは分かった。あんな所にパスが出せるんだなって、いつの間にかサッカーというスポーツに魅了されていました。この先も中村憲剛のプレーをできるだけ長く見ていたいというのが、今のささやかな夢です。リュウとケイナも大好きなパパが頑張る姿を見たいから多少の我慢は大丈夫。リイナがパパはサッカー選手と覚えてくれるまで頑張らないとね。優勝おめでとう。