青山繁晴著「ばくらの死生観」 栗林中将と英霊に落涙

涙 ぼくらの死生観 英霊の渇く島に問う

「この島で我々は全員死ぬんだ。しかし、同じ死ぬにしても、バンザイ突撃や自決で死ぬんじゃなくて、地下壕に立てこもって戦いながら死のう。
そうしたらアメリカ軍がこの島を占領するまでに時間がかかる

1日、戦いを引き延ばしたら、1日本土で女と子供が生き延びる。2日引き延ばしたら、2日本土で女と子供が生き延びる。だから、水際で迎え撃つのではなくて、地下壕を掘って、そこに立てこもって戦おう。
今までの『散ればよい』『最後に死ねばよい』という考え方ではなく、引き延ばして引き延ばして、最後はここの土になろう」

私たちが子供のころ教えてられてきた日本の歴史にこのような言葉はありませんでした。
日本軍は悪いもの。戦争は悪いもの。だから日本軍はダメ。戦争はダメ。そう短絡的に教えられてきた方は多いのではないでしょうか。
少なくとも私自身は、そのように教えられてきました。そう信じてきました。



激戦の地 硫黄島(いおうとう)

さきの言葉は、硫黄島最後の司令官である栗林忠道閣下の言葉として、本に紹介されています。

栗林忠道閣下 新藤義孝氏HPより

戦争という手段を善悪で考えれば、それは悪です。戦争はしないほうがいい。
しかし、戦争で命を落とした者までが悪なのでしょうか。日本軍人は、本当に悪鬼羅刹のごとく海外で暴れまわったのでしょうか。
祖父が戦死した家庭に育った私でしたが、学校教育で教わった「日本軍は悪かった」という内容を半ば信じていました。見たこともない、おじいちゃんは悪い一員だったのだろうと、漠然と思っていました。

しかし、事実は異なりました。
戦争の時代、場所ではひどいこともあったでしょうが、日本が進出していったアジアの多くの国で日本は好かれています。
「日本にひどいことをされた」と未だに騒いでいる3か国のみが、日本を嫌っています。
この議論は、今回は置いて話を戻します。



将来の日本のための戦死

日本軍の多くは、基本的に国のため命をかけました。国とは日本に住む女・子供、そして将来生まれてくるであろう私たちです。

そのことは、先に紹介した栗林忠道閣下の言葉に集約されていることでしょう。栗林忠道閣下以下、一緒に戦った日本人は死ぬ前提で、苦しい戦いに挑み死んでいった。それは、今を生きる私たちのためでした。

このことを涙無く読むことはできません。この想いを後世の私たちが知らずに居てよいのでしょうか。戦争のことは、見なかったことにしてしまってよいのでしょうか。
命をかけた相手であるアメリカでは、硫黄島こそが大東亜戦争の戦いのシンボルとなっています。クリントイーストウッドがアメリカ視点、日本視点の双方から映画化したほどの戦いです。
それほど苦しい戦いだったのです。

戦争という事象と、戦争で命を失った者の想いを分けて考えてみるべきでしょう。そして今を生きる私たちは何をすべきなのか。何を大切にすべきなのか。何を伝えていくべきなのか。

この本は、そんなことを考えさえてくれる本です。これ以上は、実際に本を手に取ってみてください。そしてご自身で考えてみてください。

本の最後に、硫黄島でのアメリカとの合同慰霊祭での実際の情景が記載されています。女性の陸上自衛官が唱歌「故郷」を歌われたことが記載されています。

筆者である青山繁晴氏も思わず落涙されたと書かれています。私も故郷の歌詞を読んだ瞬間に涙をこらえることができませんでした。
命を懸けた先人たち。女性の懐かしい歌声はきっと英霊に届いたことでしょう。どのように聞いていただいたのか。
英霊の心が少しでも癒されたと私は強く信じています。

レイテで散った祖父。
太平洋の海上から戻ることのなかった親族。
戦死した近親をしっかり弔い、恥ずかしくない生き方をすることを決意させてくれた一冊です。