門田隆将著オウム死刑囚魂の遍歴 重く考えさせられる一冊
オウム死刑囚魂の遍歴
本当に重い一冊でした。
オウム真理教の問題は、様々な側面から語られています。一部で擁護的な意見があることも知っています。
しかし、個人的には厳罰をもって処する以外に無いと考えています。
この厳罰に処するべし、という基本的な考えに変化はないのですが、個々人の処分については考えざるを得ないというのが読後の感想です。
門田隆将さん
この本を書かれたのは門田隆将さん。本当のジャーナリストの一人です。
言わずと知れた、当代随一のノンフィクション作家です。
「この命 義に捧ぐ」や「死の淵を見た男 ―吉田昌郎と福島第一原発」といった著作を知らぬ方は、いないでしょう。
その方が書かれた本だけに、簡単な本では無い、ということは理解していたつもりでした。
しかし、ここまで考えさせられる本だとは思いもしませんでした。
個人的な基本的な考えに変化は無いのですが…違う様々な問題があるように考えるようになりました。
その辺りを少し書いていきたいと思います。
地下鉄サリン
地下鉄サリンが起きた時、私は東京日本橋に勤務していました。地下鉄の駅で大混乱が起きていたことを未だに強く覚えています。
一般人は「オウム真理教がやったのでは?」と噂していましたが、決定的な証拠はなかった時期だと思います。この噂も、著者である門田隆将さんがデスクにいた新潮の動きがメインであったことを知ったのは、本を読んでからです。
驚くべきは、第一報が入った際には「オウムがやった」と公安が判断していたことです。まさに疑惑が深まっていた時期ではありますが、オウム真理教の起こしたことである、という認識を発生直後に警察がもっていたことは意外でした。
しかし、捜査の前面に立っている警察官、そして自らも危険を感じながら取材を行ったジャーナリストは、その危険性を肌で感じていたのでしょう。
假谷さん拉致事件
おそらくですが、現場の警察官ならびに取材陣が、オウム真理教の危険性を完全に認識したと思われるのは、この假谷さん拉致事件でしょう。しかし、警察は動かなかった。
本の中でも、警察の対応がおかしいと指摘されています。拉致の現場を假谷さんの知人が目撃し、オウム真理教の者が假谷さんを探していることを周囲の人間が知っていたにも関わらず、捜査の手はすぐには伸びなかったのです。
事件の3日後、拉致に使用したレンタカーから、オウムの関係者が判明。レンタカー車内から、假谷さんの指紋や血痕が採取。
拉致直後に検問などの対応が出来なかったとしても、このレンタカーの証拠だけでオウム真理教への捜査を行うことができたのは、素人の目から見ても明らかです。
しかし、強制捜査はできなかった。この時に警察が捜査を強制的に行っていれば、地下鉄サリン事件は無かったのです。
假谷さんご自身は、拉致直後に亡くなったとされています。オウム真理教の焼却炉で焼かれ、遺灰は砕かれ硝酸で溶かされてしまっています。
なぜ捜査できなかったのか
他にもオウム真理教の犯罪として、坂本一家殺人事件など、確証は低くとも疑いを持つには充分な事件が多くありました。
しかし、結果的には地下鉄サリン事件の被害者があってから、初めて強制捜査が行われたのです。
なぜ強制捜査ができなかったのか。
私は、この点が非常に気になっています。
攻撃は最大の防御。と強弁するつもりはありません。しかし、あまりに遅すぎた対応であったのではないでしょうか。
2018年にオウム死刑囚たちの死刑が執行されました。本の主役でもある井上嘉浩死刑囚も刑が執行されています。その際に、マスコミの一部に「死刑は早い」との声があったことを忘れてなりません。
死刑反対の声を上げていた方の多くは、オウム真理教への破防法適用にも反対をしていました。
そしてこの声を上げていた方は、おそらく当時宗教法人への捜査に異議を唱えていた方と同一(もしくはお仲間)ではないでしょうか。当時、宗教の自由というお題目を金科玉条のごとく、捜査を国による宗教弾圧に例え、強制捜査に反対する動きがあったことを覚えています。
宗教の自由はありますが、テロ集団に対しても適応されるものでしょうか。
宗教の自由は保障されるべきでしょうが、権利である自由を許すあまりに、捜査が遅れたという側面もあったのではないでしょうか。と考えてしまいます。
死刑でよかったのか?井上嘉浩
最後に、この本のメインである井上嘉浩氏。
この方の処刑についても、考えさせられました。
一番最初に、そして最後の最後までオウム真理教の真の姿を供述したのが、この井上嘉浩氏です。オウム真理教関係者の裁判が円滑に進むよう、誠実に供述している様子が浮かびます。
麻原彰晃の指示を忠実にこなしつつ、人としてすべきでない指示からは逃げる。修行は極めて真剣に行う。そこで知りえた情報は、裁判のため、一人でも多くの脱退者を得るために正直に話す。
刑と判断された假谷さん殺害への関与認定の誤認(あえて誤認と書かせていただきます)。
そして、新しい事実からの再審請求中の死刑執行。法制度の問題は、本当に無かっただろうか。
井上嘉浩氏がオウム真理教と出会わなければ…。と。しかし、誰にでも同じように、間違った集団との出会いと参加の可能性はありえます。その時にどのような行動をとることができるのか。
自問してしまう。そんな本です。ぜひじっくりお読みください。
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